自分の中の「あしたの、喜多善男」を想う前に。2008年03月19日

あしたの、喜多善男

終わってしまった・・・ 心の中にホワッ、ジワッと、ズンッと何かを残して・・・
「ギフト」をドラマで見ていた時の様な新鮮さ以上に心の奥底深くに染み入るものがありました。

そして、見終わった後、タモリのなんとかロゴスをつい見てしまった時、気づきました。
世の中には情報が多すぎる!!ということに。
折角、じわじわと、自分にとって必要な答えが、俳優さんの口を通してメッセージとして伝えられたことをかみしめようとしていた時、惰性で見てしまったために・・・ でも、かえって気づいて良かったのかもしれません。結果的に。
約25年前(笑)の中学生の頃、勉強が嫌いな友達同士で、「TVで勉強が覚えられる様なの流して欲しいよね〜!」と言っていた通りになった昨年と、一層その様になりそうな今年。それはそれで有り難いんだけど。

表面的に面白いものは、お手軽で気軽で・・・気をまぎらわせてくれる。
でも、その後ろに隠れてるんですよね。そうやっている時でも常に自分の後ろに。

ごまかしてもらえるお手軽な番組に、応急手当をしてもらっているのかもしれない・・・
けれども、応急手当をいくら繰り返しても、根っこのところは・・・・

その事にうすうす気づきながらも、はっきり認識していない、今の現状が、そのまま視聴率に反映されるのかもしれないなぁ・・・
本物に触れても、それが人生をガラリと変える訳ではなく、それがやっと自分のスタート地点に立つきっかけだったりする。
大きなきっかけがあっても、なかなか実際には行動に踏み出せなかったりするし・・・

最終回はわからないけど、このドラマは視聴率があまり良くなかったらしい。
でも、そのドラマを見た、心の重さで視聴率が測れたら、全く違うものになるはず!
例えば、今の視聴率はファーストフード店のお客さんの一日の来客人数と、チェーン店でない専門料理を出すお店の客入りを比べるようなもの。
満足感という側面では、測らなくていいの!?視聴率。
マニュアル化された、どこのお店で出しても似た様な味の料理を食べるのと、
そこでしか味わえない独特の料理を比較することに、何の意味があるのか疑問だ・・・

と、考えててやっと今わかりました。
そっか・・・視聴率って、スポンサーのために出したいんだ・・・
では、それはそれで置いといて、別の、総合的な、
「視聴者のため」の星いくつ、みたいなホテルやレストランの様な視聴率を作れば同じ土俵に上がっても、私は疑問を感じないかも。
レストランの星には、何か知らないけどひっかかる要素がある様だけど、もっと視聴者由来で純粋に・・・

あ!そうそう、「あしたの、喜多善男」には、応急手当をしてくれる要素もあった〜(笑)
人生には笑いが必要。そう教えてくれる・・・


そして、「アナン、」。(http://www.natsuko-mosaic.com/a-na-n-dragon.html

これが映像として出る時には、「視聴率」という認識が変わっているかもしれない!!
「あしたの、喜多善男」が、そのきっかけになっていることになるのかもしれない〜〜〜
この世の中、そうなると信じたい。きっとそうなるんだろうなぁ〜!!
だって、「アナン、」は、現在の視聴率などという次元と違うと思うから・・・・

ホテルやレストランの星の制度を作ったのは誰だろう・・・?

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